夜風 - 女が花 -

その街の名が、歩く人々の行いの、あらゆる責任を背負う街では、

男ですら、自分を花にしようとしている。

その嫌悪と不快に、被害者面で抵抗しようとしたが、

それではこの夜を越えられない無数のしかばねと変わらないという、

序論でもある結論の前で、私は二度と花になることはできない。

この理解を、夜風が撫でるように、幾度かなぞる時分に、

私は受動的様態の美しさに吸い込まれていった。

女は嫌悪と嫉妬、夜通し続く惰性から解き放たれてもいい。

なぜなら、その否定も、それによる美しさ(決して、全てを肯定することのない、否定の中の肯定)も、花であることを既に証明しているからだ。

だから、否ではなく、Yesと言われて当然なのである。

何を隠そう、花であるから。

そして、私はもう、何も悲しくはない。

花に涙は残らず流された、

痛みが秘められたこの夜で、

あとは豊かなロマンスに、

曝されるのを待つだけ。

白日の下で、

「もう私に秘密など何も残っていない」

とつぶやいた全能性、今すぐむかえに来て。

女の表情が徐々に詩的になり、

確率を振りほどくあいだに、

この性の奔流は、

夜風とひとつになる。

愛を待ち望んでなどいない。

今さら迷いなどない。

罪はどこを見渡してもない。

この夜風に、望まない煙草や排気ガスの匂い、飯屋の調理油の匂いが漂ってきても、浮かれときめく学生の騒ぎが聞こえてこようと、そんなのはどうでもいいことだろう。

この夜風を浴びて、私はやっと自由になったのだと思ったのだから。

刹那的な、色を絡めた言葉は戯れでしかないかもしれない。

でも愛する人にはいつも最高の讃美を贈りたい。