媒性(空間)(2)
媒性を媒性として認識すれば、眠れない夜がやってくる。
夢から目を覚ませば、一切が媒性として認識される。
我々を動かす秩序(があること)の理解と、力からの離脱。
そうしてもう一度、全ての媒性を媒性として認識したら、
一体どのような媒性が生まれるのだろう。
それを、「新しい世界」の啓示としようか(もちろんこれも、或る媒性なのだ)。
例えば、「ピアノを奏でる人と、その美しい旋律が響き渡る部屋」という媒性がある。
それが媒性の限界を示すほどに、優れた媒性であるならば、人は他の媒性を媒性として認識するだろう。
記憶(媒性、感性)というものは、想い出すように、想い出せるようにできているらしい。だから、凡ゆる媒性は
記憶と結びついているか、否か(縁があるか、否か)であるため、私たちは統一された一つの媒性に囚われてなどいない。
全てを媒性として認識した我々は、どのような世界を生み出すのだろう。
これまで「場の力(亜空間知能)」が相殺させていた、性質由来のチカラが合わさって相乗効果をうみ、
自由の媒性が復活するかもしれない。
素晴らしき世界に、時間も、特権もない(これが俺の記憶なのだ)。
それは明日のことかもしれない、2km先のことかもしれない、1年前のことかもしれない。また、
1000年前のことかもしれない、1億km先のことかもしれない、1μm先のことかもしれない。
でも、関係(媒性)ない。